2014/05/13

病院行ったらADHDと診断されました

なんだか言われてストンと腑に落ちました。

同時に今まで半ば憎んできた母親に対しての、申し訳なさや愛おしさが溢れてきました。
うちの父親は殆ど家族に関心がないので(仕事は凄くする人ですが家庭への関心は皆無です)、母親は殆ど一人で子育てや義父の看護、また、義母の介護をしてきました。
母は家事や農業や色々なことをこなしながら、うまく人と交われない・かなり行動が遅い・片付け、金銭管理が出来ない・最後まで物事を片付けられない等々の私をかなり心配したと思うし、みんなと同じように生活して欲しいと思ったはずです。自分の子供の将来を心配したと思います。

私自身も、母親が私に投げつける「普通じゃない」「周りと何かが違う」「変わっている」という言葉に正直かなり傷ついて今まで生きてきました。
「育て方が悪かったのか」と独り言のように呟いている時期もありました。

学生時代はそれでもなんとかなっていたのですが(苛めはありましたが)、母が心配してきた通り、社会人になってからが大変だった気がします。

・仕事の説明をされても言っている意味が分からない・話をしていてもその人の口元や表情が気になってしまって会話が聞き取れないことがある・時間感覚が少し人と違うみたいです・言われたことをすぐにやってしまう(作業中に別の作業を言いつけられると最後までやらずに新しい方に取りかかってしまって指摘される)・行動が遅いと言われる、意識して早くすると速いと言われたりその場の空気で動けない・出勤前に多い時は2〜3回車から降りて忘れ物を取りに家に戻る・いろんなことを同時進行出来ない

社会人になってすぐ、こうした問題に直面して本気で頭がおかしいのか...と思いました。家に帰ってきても「おかしい」とか「ちゃんとしなさい」とか言われます。無意識なので自分の何が悪いのか分かりません。

言われたらメモを取ったり、カレンダーに予定を書き込んで納期よりも3日くらい余裕を持たせて作業をしたり、朝100マス計算をしてから出勤、電話対応の練習は毎晩の1時間の通勤時に、など体で覚えていくかんじで自分なりに工夫はしたつもりです。
でもやっぱり新しいことを覚えたり順応するのは周りよりも遅いなあとは感じていました。「人に聞く」という発想がそもそも無かった私はそのことでも良く先輩に注意されていました。聞くとき、どうでもいいことを聞いてしまうのです。

こうなるとますます自分に嫌気がさしてきます。どうしたら良いのか分かりません。
そんな中唯一私の味方である(母が敵だと言う訳ではないです)姉が上京してしまい、私はどんどん何かに蝕まれるような感じがしていました。
東京に行ってやりたいことがあるというのは建前で、母から離れたかった。
きっとどこにいっても私がみんなとズレているのは変わりないのに。何か居場所を求めていました。東京には色々な人がいるから。
姉上京の半年後頃、会社へ辞めたい旨を伝えました。NOと言われました。というか説得されました。君が必要なんだ、と。
そのあとの6ヶ月は短い人生の中でもかなりきつかった気がします。(これは前のジンに書いています)そして会社を辞めることになりました。

高校生の時に、「私はADHDではないのですか?」と病院の先生に聞きました。その時は「いえ、それはあり得ません」と言われました。
ズバッと指摘されるのが怖かったので、社会人になってから別の病院に通い始めても、自分の生きづらさをどう表現したら良いのか分かりませんでした。アスペルガー症候群の本も買って読んだりしました。コミュニケーション障害なのかなとも思いました。(今やコミュ障コミュ障と一般的に言われますが、コミュニケーション障害を本気で悩んでいる人は沢山います)
幼少期から今にかけて言われ続けてきた言葉やされてきたことによってなのか、自己肯定感?が著しく低いかんじがします。褒められてもしんじられないことが多いです。常に不安だし怖かった。

いまの病院に通い始めたのは、会社へ辞めたい旨を伝えたちょっと前です。
「社会不安障害」「双極性障害Ⅱ型」的なことを言われました。
社会不安障害は分かるのですが、双極性障害の方は受け入れるのに時間がかかりました。そしてその1年後、(いま現在ですが)、その主治医にADHDの診断をされました。本当か分かりませんが(脳ドックしていないし、チェックシートと幼少期に言われたことなどを問診された程度なので)、確かに当てはまることは多いです。

最近は親から少しずつ理解を得られるようになったので、勇気を出してADHDのパンフレットと病院で書いたチェックシートを渡しました。そうしたら両親の態度というか私に対する接し方が変わってきました。
前は常に監視されている感じがして怖かったのですが、最近はのびのびとさせてもらっています。「失敗してもいいからやりたいことやってみなさい」と言って背中を押してくれます。

自分にちょっとだけ自信を持てるようになりました。安心しました。
親や私だけのせいじゃなかったのかもしれない。
自分に合わないことをしてきたのだから、出来なかったのは当たり前だ、前の会社は辞めて正解。

ずっとやってみたいと思ってきたことに挑戦してみよう、そういう気力が湧いてきているいま現在です。

1 件のコメント:

  1. こんにちわ。Tiny zineに参加予定なのでほかの参加者さんを見ていて、こちらにたどり着きました。
    日本とアメリカの違いを感じる記事だったのでコメントさせていただきます。

    ADHDはアメリカではとても一般的?というか、そういう人が普通に多く、
    ちょっと鈍い方がいれば「あの人AHDHだよね」とふざけて会話するほど一般的な単語にもなっています。
    日本ではまだ専門用語のイメージで、病院で診断されてはっきりするといったケースみたいですね。

    私はアメリカに住んでいるのでADHDと聞いても重く考えないというか
    あまりにもそういう方がいらっしゃるので、なんとも思いません。

    日本はとても完ぺき主義な人が多いというか、なんでもちゃんとしないといけない!!という
    意識が強い国なので、どこか小さな間違えでも納得してくれない方が多いような気がします。
    それがいいところでもあって(たとえば時間通りに注文すれば何でも届く、お客様サービスの素晴らしいところ)
    私はそんな日本が大好きなのですが、それ故に人の間違えを許してくれない方が多いなあと感じます。

    Norikoさんのような方にとって、とても大変な瞬間がいっぱいあると思います。
    アメリカだとNorikoさんよりももっとすごい方がいます。笑
    高校時代、テスト中に歩き回ってるクラスメートが数人いました。
    じっと座っていられないんです。笑

    えっと・・・私が何を言いたいのかと言うと、日本にいると、NorikoさんはADHDだという事を
    すごい気にするかもしれませんが、そんなに思うほど変でもないと思います。
    そこまで気にしないで、自分のしたい事を好きにして楽しんでください。

    ・・・拙い文章でごめんなさい><ちょっと伝えたいことが伝わってるか謎なんですが・・・
    頑張ってください^^

    http://secretxhoney.jp/

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